鳥取県・大山の森に住まう音楽家、 OLAibi。
CALLING MOUNTAIN 2019のホストアーティストとなった彼女に、森の中での暮らし・音楽、そして今回のイベントについて聞いてみた。
「YAMAPからホストアーティストの話をもらったとき、『今までにないものをつくりたい!』だけじゃなくて、ちゃんとゴミのことだったり、足元のことだったり、トイレを落ち着ける場所にすることだったり、小さいけれど大事なことを一緒に考えてくれる相手だと思いました」
ライブに行ってコンセプトも感じ取らないまま、「外は寒かった」と思いながら帰って来てしまった野外フェスもあったと、OLAibiは話す。
「私は山に暮らしているので、喜びが小さいんです。例えば、うちの近くは黒ぼくという火山灰の土なんですけど、住み始めた当初はすぐに足が真っ黒になってなかなか取れない。だから、いかに靴を汚さずに生活をするかが大きな問題で、家の前にい草を置くとか、脱ぐ前に徹底して払うとか、工夫をしました」
「フェスが終わって車で帰るときに、靴についた土で車内がぐちゃぐちゃになると悲しい。でも、もし足が汚れていなかったらそれだけで幸せですよね。トイレがある、ちょっと暖かい、足が汚れてない。そういうちょこっとしたことだけで嬉しいんです」
山で過ごすからこその不便。逆にそこから生まれる喜びや幸せを感じ取れる場にしていきたいという思いが、彼女自身にはある。イベントを通じて、その思いを実現できると感じたからこそ、今回のオファーを引き受けてくれたようだ。
「YAMAPは、山の恋人みたいな。そっと寄り添うみたいな感じだったら嬉しいな笑」
ホストアーティストとして、OLAibiには他のアーティストやトークゲストへの声がけも行なってもらっているが、声をかける相手を選ぶ軸についても聞いてみた。
「山に暮らしていると、音楽をやっている時間以外に、暮らしを工夫しないといけないんです」
東京であれば、好きなときにスタジオに行って音楽をつくれるかもしれない。しかし、山の寒い地域では、音楽をつくる前に暖を取らなければならない。そのためには、薪割りをしなければならない。そして、薪を割るには5月に薪を用意しなければならない。
「音楽を始めるまでに自分で手を動かすことで得られるものがある」と、OLAibiは語る。
「今回声をかけたのは、自分が山に暮らしてみて、改めて一緒にやりたいなと思った人たち。私は音楽に行くまでに過程があるけれど、そういったプロセスを共有できる人も多いと思います」
もともとはキャンプや登山などのアウトドアを嗜んでいたわけではないというOLAibi。そんな彼女がなぜ、森の中に住むようになったのか?
話を聞けば、特別な理由や執着はないらしい。
たまたま知り合った不動産さんに、「あんたたちだったらここは面白いかも」と紹介されたのは、6000坪のジャングル。現地を訪れたとき、息子のアナン君が「ただいま!」と楽しそうにいっているのを見て、面白そうと思ったのが決め手だった
土地を手に入れてから、まずつくったのはキッチンスペース。ハデ干しに使う丸太を、近所からもらってつくったそうだ。そこで焚き火をしながら、農家からもらった野菜を焼いて食べた。
ワーゲンバスに乗ったジャンベをたくさん持っている一家が住み始めたということで、近所はざわついたとか。。。
そこから、自然の洗礼を沢山浴びながらも、ちょっとずつ土地を切り開いて、自宅と山小屋「HUT(ヒュッテ)」をつくりあげた。
「なるべく木を切らないようにと、木を倒さずに床に穴を開けて家を建てたんです。それから5年後、木がナラ食い虫に食べられてしまって、家に倒れてくるかもという危機になりました。自然は『人間と共生したい』なんて思っていないと痛感しました」
虫喰いにあったナラの木は、本来自然に倒れ、生活の薪にされるそうだ。そんなルーチンがあることを知らず、「自然との共生」という考えで家を建てたことを「とても未熟だった」とOLAibiは話す。そういった自身の経験から、山のイベント像をこう語っていた。
「山のイベントも、ただマイカトラリーを持って来て「地球に優しい』じゃダメ。どれだけ人間が主張しても、それは大自然にとっては空振り。『ちょいとお邪魔します』という気持ちぐらいがちょうどいい」
OLAibiの普段の生活を聞いてみると、「森の中に住む一家」というワードから想像されるような「感性豊かなスローライフ」とは違う部分が見えてくる。
「コンセプトも理念も何にも無いんです。」
冬の朝。OLAibi一家の1日は、暖を取るところから始まる。そこで使う炭は、前の日から準備をした炭だ。コーヒーショップ「ANAN coffe」を開く息子のアナン君が淹れる毎朝のコーヒーも炭を使うので、火を点けることが毎日の起点になるそうだ。
そんなOLAibi一家の灯りはランプ。ただ、これは決してファッションではない。電気を使うと虫が入ってくるのでランプを使う。
「うちはお肉を食べないんです。その理由は洗い物が大変だから。肉の脂は水じゃ落ちないので、水が貴重な生活では野菜を食べて最後はパンで拭き取って終わり、みたいなスタイルになりました」
彼女は、こういった日々の生活のスタイルを、「割と本気」と形容する。そこには全部、理由がある。そういう理由のために、森の中の家では物事が進んでいく。
「大山に住む一家」と聞くと、信念やコンセプトを持ち、感性に頼った生活をしているような印象を抱いてしまう。しかし、自然の中で暮らすということは、自然を相手にするからこそ生じる必要な手間を、こつこつと積み重ねていくこと。感性ではなく、理屈や理論から生まれる営みこそ、森での暮らしの本質と言える。だが、その積み重ねが都市で生きる人たちにとっては、信念やコンセプトのように見えてしまうのは皮肉なものだ。
「7割くらいは森にいたいけれど、残りの3割はどこでもいいんです」
OLAibiも、元は都会にいた人間。田舎と都会を二項対立的に見ることはそもそもしない。ただ、「システムが全く違う」と彼女は話していた。都会のシステムに飛び込んだとき「ちょっと合わないなぁ」と思うこともあるそうだ。
「田舎町のおじいさんが一人でやっている雑貨屋さんで、『〜用のボンドありますか』と聞いても「ない」というのが当たり前。もしあったら『おじいさんすごいね』ってなる。でも、東京のお店でないとなったら問題になっちゃう。そんなふうに、都会と田舎では『当たり前』の許容範囲が変わってしまうような気がします」
東京に住んでいるときは、夏野菜と冬野菜の明確な違いが分からなかったという。しかし、山ではいつでも色々な野菜を食べられるわけではない。逆に、野菜が取れない時期ならではの貯蓄された食べ物があったりもする。
「ないからこそ、楽しむ」
この彼女の言葉が、森の中の暮らしの醍醐味の一つかもしれない。
一方、都会に文句がある訳ではないと彼女は語る。
「むしろ、いいなと思うことも多いです。都会のスピード感は大事にしています。それによって生まれる音楽やクリエイティビティもあるから。『都会のスピードが速いから、やっていけない』というのは、自分自身の問題。その場の波にちゃんと乗れるのであれば、場所はどこでもいい。逆を言えば、大山である必然性もないんです」
「今、最も新しい体験は『会いにいくこと』だと思う」
世界を一つにしてしまいそうなインターネット。特定の分野では人よりも優秀なAI。そこにいるかのような景色が見れるVR。世の中のテクノロジーが目まぐるしく発達し、様々な体験ができるようになったこの時代だからこそ、OLAibiは直接的な繋がりを大事にしている。
「近くのおじいさんとおばあさんが『孫に食べさせたい野菜』という名前で野菜を売っていて、そこから直接野菜を買うようになったんです。それがきっかけで、『直接買うもの』のジャンルが食以外にも広がりました」
今は、着るものや身につけるものも、商品をつくっている人から直接買うようにしているそうだ。
「その人がつくったものを、持ちたい、食べたい。その人とのコミュニケーションが楽しいし、その場でフィードバックできるのがいいんです」
直接的な繋がりは、きっと「CALLING MOUNTAIN」にも色濃く反映されるだろう。アーティストにスピーカー、ワークショップやアクティビティの講師、出店してくれる方、イベントスタッフ、そして来場者。その場のコンテンツを消費するだけではなく、そこにいる人たちが、心地よく繋がる場になるはずだ。
2019年は、「計画と無計画のバランスを大事にしたい」とOLAibiは語る。
「ノープランなんだけど、行き当たりばったりはイヤ。道筋を立てるのもイヤだけど、計画がないのもイヤ」
春から薪を準備しなければ冬を越すことはできないように、森の中で生活をするためには計画が必要だ。だからといって、クリエイティブな領域で計画を立てすぎると「つまらないし、飽きてしまう」とOLAibiは笑っていた。
「クリエイティブなところと、生活の基礎として全く違う軸でやっているところを、これまでにないようなバランスにしたいです。どこで何をやっているかわからないけど、土臭い生活もしている。そんなふうにしていきたいですね」
written by sakimura kota