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出演者インタビュー #02 苣木紀子
山は“フラットな私”を取り戻せる場所。自分でもこんなにハマるとは思いませんでした

今回お話を聞いたのは、帽子ブランド「chisaki」のデザイナー、苣木紀子(ちさき・のりこ)さん。CALLING MOUNTAIN 2019 ではターバンづくりのワークショップのほか、ホストアーティストOLAibiさんとのトークショーにも出演してくれる。

デザイナーと聞くと、アトリエで黙々とモノづくりに没頭する姿を思い浮かべてしまうが、彼女の場合は少し違う。山に出合い魅了され、時間ができれば山や岩場に出かけているというのである。

そんな苣木さんに、山と自然の魅力、都心に住みながら非日常としての山を楽しむことの意味、フェスへの意気込みなどを伺うため、東京・三鷹のアトリエを訪ねた。

「登山なんて、ただきついだけじゃないの?」って思ってました

苣木さんが本格的に登山を始めたのは4年ほど前。きっかけは、仕事の合間にふらりと立ち寄った石川直樹さんの写真展だったという。

「もともと佐賀県の厳木町(きゅうらぎまち)という山間の町で育ったので、山は身近ではありました。幼い頃はよく裏山で探検隊ごっこのようなことをして遊んでいましたね」

とはいえ、すぐに今のように登山にのめり込んだわけではないらしい。

「わざわざ山に登る意味がわからなくて。『登山なんて、ただきついだけじゃないの?』って思ってました。でも、その日写真展で見た山は、私が知っている山とはまるで違っていたんです。本当に『……えっ?』という感じでした」

山の世界へ誘ってくれた、石川直樹さんの写真集『K2』

「K2登山の最終アタックの映像も流れていたのですが、風の音とか、息づかいとか、作品全体から五感に訴えるものが漂っていて。山ってこういう世界もあるのかと、流れる映像の前でしばし呆然としましたね。入り込みすぎて自分が登っているわけでもないのに息が苦しくなるほどでした」

こんな景色を自分も見てみたい。そう強く思い向かったのは、北海道の大雪山「十勝岳(とかちだけ)」。写真展のわずか一週間後のことだった。

「初めての登山が北海道の雪山だなんて、今考えると無謀ですよね(笑)。でも当時は登り方もわからなければ雪山がそんな特別だと知らなかったから、写真展で見た世界に行きたい一心で行き先を決めてしまったんです。それも、『雪の降る山があるのは北海道だ』という単純な発想で」

左手の包帯はクライミング、ではなくて仕事での怪我だそう。「クライミングだったらかっこよかったかな」と笑ってみせる

しかし、結果は惨敗。登山の経験もないうえに、10年に一度という爆弾低気圧にぶつかり天候が悪化したこと、装備面での準備不足などが原因で、途中敗退を余儀なくされてしまったのだ。

「じつは靴も夏山の軽登山用の靴で、防寒もそこそこの格好で行ってしまったので寒すぎて。すれ違う人からは『その格好じゃ無理だよ』『このコンディションで単独行は危ないよ』と言われました。そのときに初めて雪山の風の寒さと怖さを知りました。環境や周りから足りない部分を色々と教えてもらえた、貴重な山行だったと思います」

床には登山靴がずらり。一番右が初めての登山で履いていった靴

一筋縄ではいかないからこそ、楽しめる

天候に恵まれなかったことは、この一度きりではない。北海道の最高峰「旭岳(あさひだけ)」に登ろうとした際、今度は台風にぶつかってしまう。

鏡に掛けられたクライミングギアたち

登山前日の夜、小屋の外はすでに雨風が強かった。「それでもきっと行けるだろう」と信じていたが、自身が"山の師匠"と仰ぐ山岳ガイドは、天気図を眺めながら「明日の登頂は難しいかもしれない」と、ひとこと。さらに続いた言葉に、悔しさ以上の衝撃を受けたと苣木さんは当時を振り返る。

「『なにせ相手は自然ですから。すべては天気次第。こちらが思うようにはいかないものですよ』って、言ったんですよ。この言葉を聞いて、どんなにしっかり準備しても強く願っても、登れないこともある。それは日常生活でも仕事でも同じことかもしれないなって、思ったんですよね」

仕事でもプライベートでも、100%段取りしてもうまくいかないことはある。できることはすべてやったうえで思ったように物事が進まないとき、山での感覚が自然と蘇ってきて「あ、今はしょうがないんだな」と、執着を手放しうまく気持ちを切り替えられるようになったのだそう。

「山は「怖い」と「優しい」がせめぎ合ってすべてが思い通りにはいかない。でも、その感じがいいのかな。 山はただただ何もいわずそこにあるだけなんですけどね。勝手に自分の感情が揺さぶられる。登山は、自然の環境を借りて遊ばせてもらっている感覚です。『お邪魔します』という感じ。山に呼んでもらえないと行けないし。楽しいと思う感覚が大きいのは、思い通りにいかないという前提があるからこそなのかもしれません」

ジムへ行けないときに使うトレーニング器具

「自分ではどうにもならないことに直面しながらも、その中でできることを考えながら遊ばせてもらえて、うまくいけば嬉しい、楽しいし、できなかったら『また来ますね』っていう謙虚な気持ちに返ることができる。なんかフラットになれますね。奢らないというか」

山へ行くとフラットな自分になれる

フラット。
たしかに苣木さんには、この言葉がよく似合う。

「自分でもこんなにハマると思わなかった。山ってなんなんでしょうねえ」と朗らかに笑う姿を見ていると、日々の暮らしを大事にし、自分の人生を心から楽しんでいるのが伝わってくる。どうしたらそんなに生き生きと暮らせるのだろう。コツ尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「私、山に出会うまではとにかく仕事しかしてこなかったんです。帽子づくりが好きだから、すごく充実はしていたんですけどね。モノづくりは自分との戦いだから、もう、毎日が戦闘モード。時間の切り替えも下手で、いつも前のめりな感じでした。」

優しい光が差し込むアトリエのいろんなところに緑が置かれている

「でも、ずっとその精神状態が続くと、やっぱりどこかに異常をきたすんですよね。頭がヒートアップしていいイメージが浮かばなくなってしまうことや、体を壊したりすることもあって。心身は繋がっているんだなってあらためて気づかされます。」

「登山という趣味ができてからは、以前より気持ちの切り替えができるようになりました。山に行くと単純に気持ちいし、楽しいし、気持ちをリフレッシュできる。山にいる間はそこに集中するので、自然の中でフラットな自分を取り戻せます。時間の使い方も変わったし、集中力の調節も徐々にうまくいくようになりました」

作業スペースには、保温性のある「山専ボトル」がさり気なく置かれている

山から教えてもらったことは数多く。山でテント泊をしようと、家となるテントと食料、衣類といった最小限の荷物を背負って山へ向かいながら、ハッと気づかされることもあるんだとか。

「日常でいかに多くのモノに囲まれ、持ちすぎているのかを実感します。だからといってそれらを捨てることはしないんですけど(笑)、多くは要らないんだなって気づかされます」

山からインスパイアされて誕生した帽子たち

汗をかいても、テン場で洗って乾かせるキャップ。山ではハット、街ではベレー帽として楽しめる、折りたたみができて可変性のあるもの。

苣木さんの帽子には、普段使いもできて、かつ山に寄り添うデザインのものがいくつもある。その源は、やはりご自身の登山経験からくるものなのだろうか。

「少なからず影響はあると思います。例えば生地でいうと雪のふわっとした感触を模して柔らかなニット素材を使ったり、山の稜線をイメージして、凹凸や陰影がある立体的なデザインにしてみたり……。直接的なデザインは少ないですが、想起させるものはあると思います。とても感覚的ですけど(笑)」

「自分が山でこれを使いたいという気持ちが、商品になっているものもありますね。ターバンやネックウォーマーとしても使えるカシミアの帽子は、私自身もよく山行で使っています。特に寒い時期のテント泊の時に首元に天然素材の柔らかさと温かさがあるとホッとします。小さくて軽量なので必ず持参します」

石川直樹さんの写真にインスパイアされて作った帽子は、その名も「YAMA」

ちなみに、山を連想させるのは帽子だけではない。商品カタログや展示会のリーフレット、飾り布など、いたるところに山のモチーフが使われている。

2018年の新作カタログ。今年の春夏商品でも、ナイロン素材で速乾性があるものを数多く取り揃えているそう

展示会のリーフレット。苣木さん撮影の山写真

山で撮った写真を布にプリントしたもの。普段はロフトの手すりに掛けておき、展示会では会場に飾る

「自分でも使いたいし、他の人にも山や街でたくさん使ってほしい」と話す苣木さんの帽子には、山を愛おしく思う気持ちと日々を健やかに過ごすためのデザインが同居しているようだ。

これは素晴らしいイベントになりそうだ! という予感がしました

がっつり山登りをしている人だけじゃなくて、もっと多くの人に山を身近に感じてほしい。忙しい毎日を送る人たちに、自然のなかで過ごすことで気持ちの切り替えをしてほしい……。
ヤマップのそういった想いを知って心から共感した、と話す彼女は、CALLING MOUNTAINを"優しいイベント"と表現する。

「特別な人ができる山登りもあるけれど、もっと気軽にできるものもある。今回のフェスが、『山って気持ちいいね!』『きついだけじゃないんだね!』という山の多面性、素晴らしさを知ってもらうきっかけになるといいなと思います」

「人の数だけそれぞれの山の楽しみ方があるからこそ、山はきっと楽しいんですよね。そういう多様性をよしとしてくれているのがヤマップであり、アプリのYAMAPにもあらわれている気がします。普段の山行でアプリを使っていると、みんながそれぞれの目的やレベルに合わせて純粋に山登りを楽しんでいるのが伝わってくるので。今回のフェスもそうですけど、YAMAP自体がすごく優しい空間だなと思います」

フェスに来場してくださる方々へのメッセージを尋ねると、「自然の素晴らしさに身を委ねるだけでいいのではないでしょうか」と、彼女らしい優しい答えが返ってきた。

「とにかくリラックスして楽しんでほしいですね。普段は頭で考えることがたくさんあるから、自然の中ではポカーンと。私も含め、ほとんどの人にとって山は非日常だと思うので、極論、自然の素晴らしさに身を委ねるだけでいいのではないかと思います。

何より私自身、全部が楽しみです。星空観測もトレッキングも。出演者でも参加できたりするのかしら? 九重は初めての場所なので、そこに身を置くこと自体がすごく楽しみ。」

部屋のところどころに山の本。イベント出演者の小島聖さんの著書『野生のベリージャム』も

ホストアーティストにOLAibiさんを推してくれたのも、じつは彼女。音楽をオーガナイズする人が自分の周りの仲間を誘うというCALLING MOUNTAINのコンセプトに新しさを感じたという。

「九重の山並みやフェスの雰囲気とオラちゃん(OLAibiさんのこと)の音楽がめちゃめちゃ合うなと思ったんです。で、本人に確認なくホストアーティストに推薦しちゃったんですけど(笑)。

主催者や出演者が仲良しだと、いい空気、いい循環が生まれますよね。これは素晴らしいイベントになりそうだ! という予感がしました」

棚の上に置かれた丸ケースにも山のイラストが

「山に住んでいるけれど、それはただそこにいるだけ。山は特別なものじゃない」というOLAibiさんと、山は非日常でフラットに戻れるきっかけを与えてくれる場所だと話す苣木さん。

一見正反対の価値観を山に対して抱き、自然に親しんでいる二人が、当日のトークショーで何を語るのか。きっと示唆に富んだ面白い話が繰り広げられるに違いない。

できないことができるようになることが楽しい

最後に2019年の抱負を伺うと、はにかみながらながらこう答えてくれた。

「時間の使い方かな。油断すると、どうしても仕事中心に生活がなってしまうから……まあ、単純にいうともっと山に行きたいし、もっと岩に登りたい、ですね(笑)」

できなかったことができるようになることが楽しいし、知らなかっとことが知れることが嬉しい、と彼女は言う。

「大人になると経験的にできることが増える分、『できた!』っていう純粋な達成感って、どんどん得にくなっていくような気がします。でも、山では強力な達成感を味わえる。特に私は山を始めてまだ間もないし、知らないこと、できないことが多いんです。だから、ちょっとずつできることを増やしてけることが、楽しみなんです」

「そこへ行かないと見れない景色がある。クライミングを始めたのも、石や、岩が好きなのと、一般登山道からでは見れない世界をこの目で見たかったから。自然の営みから見たら私の一生の時間なんて一瞬のことなんですよね。自然の大きな懐を借りて、興味のあることはできるだけ頭で考えるだけじゃなく体感させてもらえたらと思っています」

頭で考えすぎず、ときには山や自然の中に身を置き自らを見つめ直すことが、日々の暮らしを豊かにする秘訣なのかもしれない。

九重の山々に囲まれた緑豊かな場所で、自然の素晴らしさにただただ身を委ねる。そんな贅沢な時間を、CALLING MOUNTAINで過ごしてみてはどうだろう。


苣木紀子 Profile

written by chu

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